問題なのは「恋」じゃなくて「相手」?!
大手メディアで44.7%の女性が「恋愛はめんどくさい」と思っているアンケート結果が出ました。同じく若者の恋愛離れは進んでおり、20代の男性の4割が恋愛経験無しとなっています。凄い結果ですね。
確かに恋愛は面倒なものです。お金もかかりますし、男女の考えの違いから絶対に喧嘩になります。けど、これって全員に当てはまるわけじゃないんですよ。
仕事でも向き不向きがあるように恋愛でも相性があります。冷静に面倒な恋と面倒じゃない恋について考えてみませんか?恋愛は絶対に楽しいものなのですから。
面倒な恋の3パターン
「面倒」の正体。それは、
過度な干渉
です。
例えば自分が作業をしている最中に「ご飯よー。」と言われたらイラっとしませんか。同じく、宿題をやろうと思っていたのに「宿題やったの?!」と言われるとやる気をそがれます。これと一緒。
連絡しようと思っていたのに「連絡してくれないの?」とか、「もっと構って!」って言われると面倒だと思うんです。さらに細かく分析してみましょう。
あれもこれも束縛される
恋愛にありがちなのが束縛。
- 異性と会ったら報告
- いつも一緒に出かけること
- 毎日1回は電話!
- 白い服は嫌いだから処分して
ジャンルは違えど、全部束縛です。束縛って自分に自信の無い人がやるんですよね。相手が自分に合わしてくれることを愛情だと思っています。そりゃ今の若者は自分に自信がありませんよ。お金も無いし、何かをやろうにも人が多すぎてやる気が出てきません。だから束縛する人が増えています。
小まめな連絡・報告
現在は連絡手段が増えすぎました。フェイスブックにせよ、ツイッター・LINEにせよ本来は返信する義務は無いんです。昔は手紙か家の電話しか連絡が取れませんでした。自然にデート以外は自由な時間だったんです。
例えばLINEの既読。読んだ履歴が残っているのに返信が無い→嫌われたのかも!って自分で自分を追い込んでしまいます。人は頭の中では悪い方に考えてしまいます。恋が面倒なのではなく、彼氏・彼女の情報に自分が振り回されることが面倒なのです。
相手の好みに合わせないといけない
自由や自分らしさが叫ばれる中、恋愛はどうしても相手の好みに合わせる必要が出てきます。
特に大きいのが、
・食事
・ファッション
の2つです。
和食が好きなのに洋食好きな女性と付き合っても楽しくありませんよね。楽しくないのに一緒に居るほど面倒なことはありません。服もロック系が好きなのにナヨナヨした男に合わせてナチュラル系にしても嬉しくありませんよね。譲れないことをはっきりしないまま付き合ってしまうと「時間の無駄!」と感じてしまいます。
楽な恋の3パターン
幸せそうなカップルって「恋って面倒!」と思ったことも無さそうですよね。それは、
一緒に居て楽
だからです。
家の中では格好を付けることなくゴロンと出来る。デート中でも歩いたりファーストフードで食事を済ますことを嫌だと思わない。そんな関係が本来あるべき恋愛です。ドラマのように格好をつけた恋愛こそ面倒な恋なんです。
お互いが適度に気遣いできる
人間関係で大切なのは距離感です。家族であれ恋人であれ、丁度良い距離感ってあるんですよ。気遣いされすぎても疲れちゃいますよね。
仕事で疲れていそうなら近場のデートにする。風邪を引いてしまったのならデートをキャンセルして看病する。当たり前のことですが、距離感が近すぎると「あれもして!これもして!」と自分勝手な考えになってしまいがちです。
本当の恋愛とは1人でも生きていける2人が支えあって協力するものです。
苦手な部分を補い合える
私が一番良いと思う関係がこれ!
自分の周りのことがズボラな男性には面倒見の良い女性。人と話したり電話をするのが苦手な女性には押しの強い男性がピッタリです。お互いの短所を補い合うほど楽なことはありません。この場合は面倒な恋どころか、かけがえの無いパートナーという関係になります。
お金が掛かり過ぎない
若者にはお金がありませんから、せめて自分の好きなことにお金を使いたいと思っているに決まっています。なけなしのお金を彼女ばかりに使っていたら「俺は何のために働いているんだろう。」って思いますよね。金銭感覚は恋の重さに直結します。
逆に女性はデートでお金を使わない男性には「この人、割り勘ばかり・・・。」って感じますよね。大切にされていないのかなって思っちゃいます。
お互いにお金を掛けずに楽しめるのなら価値観が丁度良い証拠です。
まとめ
もっともっと細かくまとめることもできますが、ざっくりとはこんな感じです。人との関係は絶対に面倒がありますが、人との関係無しに生きていくのは大変です。人として生まれてきたのなら恋愛くらい楽しくしたいですよね。
まずは客観的に自分は「面倒な男・面倒な女」になっていないかを考えて見ましょう。案外、干渉しすぎていたのは自分だったりするものです。